読書8-15『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』Ⅷ

新しい一週間が始まった。週末は体育的行事。明日はその予行演習。私は受け持ち児童が3学年に渡っているので、それぞれの動きを把握せねばならない。このような全校行事があると、忙しさと目まぐるしさに拍車がかかる。

実家の片づけも「家事」の範疇なのだ。

~親の物を親が生きている間に片付けることは、果たしてどれくらい意味があり、有効なのだろうか。物が溜まる人はどうやっても物が溜まるのだという結論に達し、捨てるのは諦めた。~

「親が住む実家にモノがあふれ、捨てられず、飽和状態になっている」というのは、ごみ屋敷と言わないまでもよく聞く問題である。断捨離という言葉も確か流行語になったし、テレビ番組も放映されている。私の家人の実家がまさにそれである。家人は足繫く実家に通い、飽和状態を解消しようと闘っていた。

~残された者が後で困らないように先手を打ちましょう、という発想もいかなるものだろう。自分たちが先々困らないように親を説得して物を片付けるという発想になんとなく自己中心的なものを感じてしまう。~

その人の財産を使い、その人の判断で購入し、それが部屋を埋め尽くしていく。それは、次世代の労力や費用をかけ、処分していくことになる。もしかしたら、日本人は豊かになりすぎたのかもしれない。そして、寿命が延び過ぎたのかもしれない。

~親を急き立てるよりは、まずは本人にとって大事なものを誰にどう手渡していくかを、一緒に考えるくらいで十分ではないだろうか。~

「一緒に考えよう」という説得から始めねばならない。それだけでも十分ハードルが高いのだ。(R5.10/23記)