読書8-10『世界一やさしい「論語」の授業』Ⅲ

~行動力があって言行が一致し、世の中を善くし、世間から学問好きと言われるものになろうと心がけたんじゃよ。~

行動力、言行一致、善行、向学心ということだ。

~幸福というやつは、水で空きっ腹を満たし、寝るのに枕がなく肘を枕代わりにするほども貧乏生活だって見出すことができるもんだ。~

幸不幸というものは豊かさ、貧しさとは関係ないということだ。おそらく孔子の時代では現代と比べて皆が貧しかった。が、豊かな生活が手に入れられるようになり、その反面、格差も生じてきた。他人と比べての不足感が幸福を遠ざけてしまうのだろう。

だれでも幸福になりたいと思う。だれでも豊かでありたいとも思う。いつの間にかそれが同義になってしまっている。豊かな生活は勝ち取るもの。幸福は見出すもの。闘わずしても幸福にはなれる。

~自分は何がしたいか分からないという者は、とりあえず「人を殺さない」「物を盗まない」と決意してみることじゃよ。そう決意しただけでも目の前に一本の道が開けてくるじゃろうが。その道を脇目も振らずに歩んでみることじゃよ。~

「何がしたいか分からない」今、こういう人って多いんじゃないかな。ほどほどに生活が満たされているから目標を掲げる必然性もないのだ。「~しない」「~にはならない」こういう消極的なものでもいいのだ。言葉にして決意することに意味があるのだ。

~頭から自分は取り得がないなどと悲観しないことじゃ。自分を愛して、いたわり、くよくよ考えすぎずに単純素朴に生きようと決心すれば、自然と人生の目標が定まってきたりするもんじゃよ。それが案外、聖人の域に到達する近道なんじゃぞ。~

確たる理想を持つわけでもなく、でも自分の至らないところばかり目に付く。自分もそんな風だったなと今は思う。自分を愛して、というのは難しいが自分を否定することはやめようと思う。(R5.8/28記)