読書8-6『「自分には価値がない」の心理学』23

ようやく今週が終わった。ようやく週末が来た。今日、職場の机には給料明細の封筒が乗っていた。「ちょっとはぜいたくできるかも」と夢が広がる。

~人生の目的とは言うまでもなく苦しむことではない。楽しむことだ。働くのもまた楽しむためだ。生活を共にするのも楽しむためだ。楽しむことに遠慮はいらない。快感のチャンネルを拡大し、高めることでたっぷりと快感を堪能したい。そうすることで「今、ここ」を生きている、自分を生きていると実感する。~

確かに「生きている」ことを実感するときは、だいたい楽しい時だ。苦しい時や思うようにいかない時は、そこから抜け出したいことだけで頭がいっぱいだ。

~苦しい努力に自分を追い込んでしまう人は、意志が強く、努力家で勤勉な人である。その意志と努力が自然な生命の流れに逆らう方向に向けられているためにストレスになるのである。だから意志による強固なコントロールを手放すことを心がけることである。「特別な存在にならなくていいのだよ」「今のままでいいのだよ」~

以前は、その子にとっての最高の先生になろう、と思っていた。みんなから一目置かれるような教師になろう、とも思っていた。そんな理想に向けて努力したし、もちろん勤勉だった。努力している最中は、自然な生命の流れに逆らっているかどうかなんて考えないものだ。自分が破綻してからようやく気付くものなのだ。

~努力の方向を内発的な感情に沿うように向け直すことである。いつでも未来のために努力するのではなく、「今、ここ」を楽しんで生きる努力をすること。それが自然に未来の充実につながる努力となる。~

教師として、どうしても努力を求めてしまう。しかし、子どもも「今、ここ」を楽しんでいいと思う。少なくとも、私は子どもに無制限の努力を求めることはしないでおこうと思う。(R5.7/14記)