読書7-15『2020年からの教師問題』Ⅸ

平日なのに3日も続けて映画鑑賞。久しぶりの読書ブログ。

教師は、指導者であってはならない。なぜなのか。

~指導者のように、生徒が目指すべき方向へとことん導こうとすれば、当たり前のことですが、多くの時間を仕事に割かなければいけなくなります。教師の生活は、ほとんど仕事関係のことばかりになってしまい、社会の動きに疎くなりがちです。~

私も4年半前まで、教師になろうとしたその方向は指導者への道だったのだ。子どもを自分の思うままに導こうとしていた。だから自分の生活も仕事中心になっていた。よって世の中のことなんて何にもわかっていなかった。

~生徒たちが将来、社会で生きていくための準備期間が学校生活である。学校生活は人生の途中過程でしかなく、完結する場ではないのです。~

今日、中学校の先生と引き継ぎのために話をした。「進路」「将来」という言葉が自然に出てくる。義務教育を終える立場だから仕方ないかもしれないが、必要以上に子どもの将来について干渉していやしないかと感じた。

~そんな生徒たちに接するうえで教師は、ワークライフバランスのワークの効率化をもっと図り、社会の変化を感じる感性が働くだけの心身の余裕を持つ必要があります。~

ではどうしたら心身の余裕が持てるのか。私は「受験」「入試」というものがなくならない限り不可能ではないかと思うのだ。学歴偏重社会であるために、「学力をつける」という導きを教師は任せられる。入試が人生のすべてではないはずなのだが、実際問題として、進学することは大きな比重を占めている。

~教師は自分自身がライフを大いに楽しむことが必要です。仕事以外に自己投資をする時間があれば、社会に対するアンテナも高くなるのではないでしょうか。~

学歴偏重社会がなくなり、学力観や教育観が変わらなければ、教師がライフを大いに楽しむなんて夢のまた夢だと思う。(R5.3/3記)