読書8-6『「自分には価値がない」の心理学』24

三連休、初日。庭の伸び放題の雑草と格闘。

~大声を出すことは一種の退行であり、自己抑制を解除する働きがある。大賀絵を出すために大きく息を吸い込んでいるので、多くの酸素が取り込まれ、身体が活性化する。~

グランバスに参戦しに行くとき、家人からも「大声を出すこともいいことだよね」と賛同を得られた。ブログでもわかるように、ゴール裏での応援は、人前でノーリミットで大声を出すことができる稀有な存在である。ストレス解消の度合いもハンパないと言える。チームの勝利を目指すという大義名分をいいことに、遠慮なくはじけさせてもらっている。

~傷つきが予測される場面に直面するのが多少辛くても、自己成長の機会と考えて立ち向かっていこう。もし、現在の自分には耐えられそうになければ「回避行動をとる」と明確に意識してそうすること。そうすれば逃げていると自分を責めることなく、自分の課題として位置付けることができる。~

私は、職場の研修としての授業研究会、協議会といったものに参加しない。年休を取って帰る。協議会では、参加者から授業者へ、感想や授業批評などの意見が出されるのだが、そういう空間に自分を置くと、嫉妬心や自己嫌悪心という「傷つき」が生じるのだ。私はかつて、そういう心情をエネルギーにして、仕事に打ち込んでいたが、結局心身を壊すことになった。そもそも協議会自体も、参加者を競い合わせようという下心もあるのだろう。

もう私には教師としての力量を高めようという向上心がない。そこに参加することに耐えられそうにない、というより、耐えることに意義を感じない。もう自分の人生自体の時間も無限ではない。それよりもっと自分にとって有意義な時間を選び、過ごせばいい。そういうふうにだって年休を使っていいと思っている。究極のところ、子どもの前でさえ教師でいればいい。(R5.7/15記)