読書7-1『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』Ⅵ

「やればできる」と思いがちである。

~全員が100点をとるなどということはあり得ないわけです。しかし、ともすると、今の教師や親の中には、努力すればそういうこともあり得るというところで、子どもを圧迫している向きもないとは言えない気がします。~

努力することは貴いことだが、それを全員に求めてはいけない。努力したってできない子もいるんだよね。教師はその子に、できたときの喜び、達成感、成就感を味わってほしくて努力を求めてしまうのだ。教師の願いを押し付けてしまうのだ。

幸福の感じ方について筆者の考えが書かれている。

~細かな日々の中で、細かく幸福を感じる能力を持っている親というのは素敵だと思います。そういう親の在り方はもちろん子どもにも反映するでしょう。事実、人間はなんでもなく生きていることを幸福と思わなければならないような弱い存在なのではないでしょうか。~

人間は、どうしても他人と比べてしまう。もっと長生きしたい。もっとお金が欲しい。もっと名誉ある地位につきたい。他人と比べて、うらやんで、至らない自分を不幸と思ってしまうのだ。

~人間は無力であり平穏な日常は自分の力で維持できているわけではなく、心細い偶然や僥倖に支えられているのだという感覚がある人は、子供が学校から帰ってきただけでもうれしいと感じられるのではないでしょうか。~

偶然というのは、自分の力ではないということ。だから「生かされている」「生きてしまっている」「生かせていただく」という態度や心持ちが大切なのだと思う。自分の力で生きているという感覚は傲慢なのだ。

~人間は傲慢ですからなかなか細かなことで幸福を感じ続けることは難しいと思います。しかし、いつ地震が起こっても不思議はない日本列島に住んでいるのですし、平凡な一瞬一瞬を幸福と感じることは、リアルなことでもあると思うのです。~

人間は弱く、無力で、傲慢。今日も一日終えられたことに感謝しなくては。