読書7-1『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』Ⅳ

筆者の人間観である。

~人間なんてほんとうにどうしようもないものなんだ、という認識が基本になければいけない。~

かの地ではまだ侵略戦争が続いている。それがいい例だ。自分も含めて、人間は本当にどうしようもないものなのだ。

~たえず教育というものは、意識したり、方向づけたり、努力したりするところからはみ出る部分を持っています。人間論は、不分明のところをどうしても持ってしまうし、また、持っていなければならないのではないか。~

教育を生業としているのだが、子どもと一日付き合っていると、「はみ出る」場面に多く出くわす。人間には「はみ出る」部分がどうしても出てしまうし、出なくてはならない、と読める。「はみ出る」子どもがいなくてはならないとなると、教師はその事実にどう対峙したらいいのだろうかと思ってしまう。一般的に言えば、教師は「はみ出ないように」「落ちこぼれないように」取り組んでいる。矛盾を抱えている。

~人間というのは簡単に観念に整合するような存在じゃありませんし、合理的な存在でもないし、理論的存在でもない。どんどんはみ出してしまう。綺麗な理念通りにいかないわけですね。結局のところ、その美しい理念は多くの人を幸福にしなかったわけです。~

教育論文というものがある。私も若い時は論文を熱心に書いた。主題を決め、仮説を立て、実践をし、検証し考察する。今から思えば、子どもから仮説に当てはまる子どもだけにスポットを当てて、さも素晴らしい実践であるかのように書いていた。そんな論文でよい評価を得ても仕方がないことを、私の今の立場が如実に表している。今では理論で子どもを語るつもりはないし、そういったものはそう信用する気はない。(R4.9/29記)