読書6-18『社会力を育てる』Ⅲ

筆者は、全国学力テストが「非社会化」が進む一翼となると考えているのだろう。

~全国学力テストによって地域ごとの、そして学校別の序列化が進むことは避けがたいことである。順位を一つでもあげるための、教育の本筋から離れた空しい狂騒が全国的に展開されることは目に見えている。~

国学力テストが実施されて、もう何年たったのかな。学校別の序列化が進んでいるとは思えない。現場の感覚だと、それは「ただの行事」に過ぎない。6年生がほぼ1日、テストを行い、その日は教師も子どもも大変だ。その結果は、職員会議などで知らされるが、それを受けて組織的に対応を変えるということはない。

~そうした狂騒が激しくなればなるほど、学校での教育が、子どもを心身共に健康な大人として育てるという教育本来の目的からどんどん遠ざかることになるのは言うまでもない。~

多くの教師は毎日をこなすことで精いっぱいだ。教科書を最後まで進めることに、教材を消化することに手いっぱいだ。それが子どものためになるとか、教育本来の目的とかは考えていない。市教委が、管理職から命じられているから、決まっているから、ただやるだけである。ちなみに、保護者も学力テストの結果を気にしている様子はない。それよりも、「勉強についていけているか」を気にしている。

私は学力テスト自体はやってもいいと思う。子どもの学力の実態はどうか、学習が定着しているのか、指導法に問題があるのか、を客観的に調査する必要はある。ただ現場があまりにも多忙すぎて、テストの結果をみて教育活動を評価し改善する余裕がないのだ。現場が忙しい分、誰かがそれをしてくれていると思うが、それが伝わってこない。

「全国」と名の付くものは、大方そうかもしれない。規模が大きいと末端には伝わらないものかもしれない。(R4.8/5記)