読書6-18『社会力を育てる』14

仕事帰りに歯医者に寄った。施術後、どうも嚙み合わせがよくない。自転車での帰り道、「自分の我慢が足りないのか、修正してもらったほうがいいのか」悩みに悩んで結局また歯医者に向かった。医療にはこの手の問題がつきまとう。施術者はベストをつくしても、患者が満足するとは限らない。

今日で最後にしたい。

~どの子にも、可能な限り、最も望ましい教育を施したとしても、才能や能力に恵まれた子どもとそうでない子どもの差は広がることはあっても、縮小し解消する可能性は極めて少ないということである。~

意外とこのことは盲点になっている。平等に教育すれば、できる子もできない子も同じように力をつける。我が国には、「努力次第でなんとかなる」「為せば成る」という考えを是とする風潮がある。だが、がんばったから(がんばらせたから)といって抜きん出るわけではない。そして多少は上昇したとしても、その他が負ける。「やればできる」「努力が大切」といって子どもを煽り、将来役に立たない、生きるのに必要のないことまで詰め込ませる。

メリトクラシー原理は2033年には行き詰まり、自己破綻するだろう。ヨーロッパの国々は「能力や知識を競い合わせる教育」から「能力と知識を寄せ合わせ新しいものを作り出す教育」へとシフトさせ始めている。~

メリトクラシーを調べただけでも、「不平等や格差の再生産に寄与」「社会統合機能に対する限界」などの言葉が出てくる。やはり現在の学校教育は考え直すべきなのだ。学校を取り巻く社会、環境は大きく変わったのだ。

~日本も互いに競い合わせ、能力差や成績差によって「勝ち組」「負け組」に分断するような教育にはっきり見切りをつけるべきである。そして互いに他者を理解し合い、信頼し合い、互いに力を合わせて問題解決に当たり、課題の実現に当たることを喜びにするような人間を育てる教育に移行すべきである。~

差し当たって自分ができることって何だろうか。(R4.8/23記)