読書『〇に近い△を生きる』Ⅲ

教育についてふれている。

~僕たちの社会がもっと寛容になって多様な価値観を認めるようになれば、挨拶ができない子、本が読めない子でも隠れているすごい能力が開花するかもしれない。だから周りにいる子のおかしいところを認めちゃっていいんじゃないのって。~

多様な価値観を認めること。直接子どもと接する我々が、最も心掛けなくてはならないかもしれない。が、学校現場は価値観を押しつけ、選別、矯正の場になっている。本当は能力を開花させる場所であるはずなのに。

~子供達に〇と×のレッテルを貼ってはいけない。子どもたちの未来や可能性は〇と×に分けられない。みんな△だ。それをどう〇に近い△にしていくかが子どもを育てるということ。~

自分はどうだろうか。決して教師として〇ではない。では×なのだろうか。そうとも言い切れない。やはり私も△なのだ。〇に近づいていけばいいのだと自分に言い聞かせている。