読書6-16『老いる覚悟 』Ⅵ

年寄りの冷や水」とは、若い者の真似をしている年寄りへの批判の意味で「冷や水」をかけるのだと思っていた。全くの勘違いだ。私は先日、かき氷を食べておなかをこわしたのだが、それが「年寄りの冷や水」だったのだ。要するに戒めの言葉なのだ。

~「年寄りの冷や水」と言われようが、周囲を気にせず、自分の思うがままに、やりたいことをやるのが自然である。~

「老人が若者のように元気にふるまったり、年齢にふさわしくない無理をすることのたとえ。そんなことをすると後がたいへんと心配したり、冷やかしたりするときにいう」とあった。「年寄りの冷や水」だからといって無理をしてはいけないわけではない。その責任を自分がとるなら、思うが儘にやればいいのだ。

~老いたことにより上昇志向を失う人が多いのではないか。だが絶対に上昇志向は失ってはならない。もういいと思ったらそこで終わりである。~

「上昇志向」というとどうしても競争のイメージがつく。自分は「拡張志向」でいきたい。

~余生にはお金より大事なものがある。自分の好きなことを思う存分できる「何をしてもいい自由」である。お金はないが「何をしてもいい自由」を選び楽しい余生を送っている人もいる。要するに金銭ではなく「いいじゃないの幸せならば」の精神である。お金は所詮、自分が好きなことをするための道具に過ぎない。~

守銭奴という言葉がある。そうではないと思う。でも実際将来どれだけのお金が必要なのか分からない。いや将来がどれだけあるかどうか分からない。お金より大事なものがあるのは分かるが、お金がないまま余生を過ごすのも不安である。思いきれず、割り切れずに、好きなことができる時間が過ぎていく。まあ、できる範囲でチビチビ好きなことを楽しんでいこうかな、というところである。(R4.7/18記)