読書6-16『老いる覚悟 』Ⅶ

成果主義について強く語られている。

~すべてを機械化して無駄なものを切り捨てていくうちにたどり着いたのが「成果主義」である。多くの人間が歯車ではなくネジのように扱われている。ネジはいつでもすげ替えられる。~

「老いる覚悟」の中で語られる成果主義。もしかしたら我々や一つ上の世代の者は、成果主義の形成に一役買ってしまったのかもしれない。ネジで思い出したのは、今や就労者の3割を占める派遣労働者や非正規雇用者だ。「お前の変わりはいくらでもいる」という存在が多数派になりつつあるのだ。

~今や会社や組織は利益追求、効率中心主義であり、体温と余裕のあった時代に戻ることはない。本来は人間の幸福のために追求した効率と便利性が逆に冷徹な成果主義を生み出してしまった。成果主義になると、仕事の中で人間性を問うことはない。~

一昔前、「ゆとり教育」が推進された時代があった。だが学力低下問題が起こり、その反動で授業時間数は増え、今に至っている。学校現場もやはり学力向上追求、効率中心主義だ。「それがその子にとって幸せになるか」という問いがない。国際競争力を高めるために、学力向上を追求している。

成果主義は日本の国民性に合わない。さらに成果主義の会社が必ずしも景気がいいとは限らない。日本のデフレは成果主義で市場が冷え切ってしまったのが原因である。~

老いていく我々は、成果主義に対して、どんな覚悟をしたらいいのか。「体温と余裕のあった時代」を知っている我々はどう対峙するのか。確実に言えるのは、まず自分自身が、成果主義に陥らないことだ。そして成果主義に沿えない者を理解することだ。(R4.7/19記)