読書6-16『老いる覚悟 』Ⅱ

余生。一般社会では老人ではないが、職場ではもう老人の部類だ。今の自分の仕事は、余生になっていないか?

日本は超高齢化社会。定年を過ぎても20年以上を生きねばならない。「余った人生」としては長すぎるのだ。

~余生そのものが重要な「人生の課題」になってしまったのである。余生は余った人生ではない。ただ生きているのではなく、有意義でなければ余生といえない。~

~尊敬される老人であるために、まず重要なことは心身ともに能力が高いこと。視覚、聴覚が衰えていたとしても、見よう、聞こうという意識を持っていることである。加えて、社会に参加し、常に活動に関わり続けること。~

私もこの年齢だから、いろんな能力が衰えているはずだ。それは仕方がない。でも最も恐れねばならないのは、意識を下げてしまうことなのだ。「指導しよう」「教えよう」「伝えよう」などの意識を捨てていやしないか。

~新しい人間との出会いは、新たな考えや意見や思想が吹き込まれる。自分の知らないことを知っている、自分が経験したことのない体験をしている、そんな人たちに出会うことが大切なのである。~

なかなか新しい人間に出会える機会はないのだが、これも、「新たな考えや思想を学ぼう」という意識が問題ではないかな。

~存在価値がなければ、老人なんてただの粗大ごみでしかない。~

ずいぶん厳しい言葉だな。でも有意義に人生を送っていれば、自ずと存在価値も出てくるのだろうな。(R4.7/12記)