子ども格差―壊れる子どもと教育現場 (角川oneテーマ21) – 2010/2/10 尾木 直樹 (著)
『広がりを見せる「児童格差」の実態を分析した最新教育論』とあった。まず、テストについての記述がある。
~「テスト対策」に偏重してしまえば、得点で測ることのできる「テスト学力」が身につくだけです。これでは逆に創造的に物事を考えたり、問題解決を図ったりする「生きた学力」は育ちにくくなります。「洞察力」や「活用力」を学力の土台に据えている今日の国際社会の学力観から、日本はひとり取り残されていくだけになってしまいます。~
これからの世の中に「洞察力」や「活用力」が必要なのはよくわかる。知育偏重の学力ではこれからは生き残れないのは確かだ。だからと言って、学校が洞察力や活用力を育てているかと問われたら答えはNOだ。なぜなら、教員には学期ごとに行う評価という業務が待っている。いくら洞察力とか活用力とか言っても所詮最後はテストだ。様々な観点が用意されていようと、客観的にはテストの結果に頼るしかない。周知のように学校現場は超多忙であり、新たな評価法を研究する場も時間もない。本当に洞察力や活用力を育てないのならば、学校は適していない。もっと別の教育機関に頼ったほうがいい。
~テストとは本来、個々の子どもたちの学習上のつまずきなどの問題点を明らかにして、教員の指導の改善に役立てたり、子ども自身の学習方法の手直しに役立てたりするためのものなのです。~
わが町では、退職校長がトップである教育団体が、テストを作成し、それを町の予算で購入している(実際にテストを作成するのは現職の教員である)。テストの採用や購入に現場教師の意思は反映されない。量は、主要教科を年間20枚といったところか。となると、子どもは毎週1,2枚はなんらかの教科のテストをしていることになる。その頻度ならば、指導の改善に役立てるなど、実質無理だ。片付けるだけ、消化するだけ、こなすだけで精一杯である。テストは評価の道具でしかない。(R4.4/15記)