読書『働き盛りがなぜ死を選ぶのか <デフレ自殺>への処方箋』Ⅳ

働き盛りが死を選ぶ原因は、我が国の教育にも関係があるらしい。

~教育から職業訓練への移行がスムーズにいく仕組みを作り、また、職業訓練を教育の一部と考えることでそのコストを半分程度は国が負担する仕組みを作る必要がある。それは企業だけでも教育だけでもできないことであり、両者の連携が必要なのである。~

学校教育は、子供の将来に役立つことを教えていない。かつては、学校で教える内容と実社会に役立つ事柄は違っていても、企業が社員教育する素地が出来上がっていた。企業は社員の面倒見がいい。それが我が国の企業社会だったのだ。だが、経済成長も止まり、どの企業も社員教育などをする余裕がなくなったのだ。

そして、企業は実社会で役立つスキルを学校教育に求めるようになった。だが、学校教育は、各教科の既得権益が確立されており、教育内容も地域社会に歴史伝統として根付いている。文科省がいくら「キャリア教育」「プログラミング」「外国語活動」と声高に叫んでも末端まで行きわたらない。

~ペスタロッチの教育は庶民のための教育であり、知的教育とともに、実践的な教育を重視した。ペスタロッチの教育思想は、スイスに深く根付き、教育の目的として「生活と仕事に備えること」がはっきりと掲げられている。つまり、生活面及び職業面での自立が重視され、職業教育が教育のなかにきちんと組み込まれた仕組みを発展させてきたのだ。~

「キャリア教育」というものがあるが、ニートやフリーターに対し危機感を煽るだけで、一過性で終わるブームのようだった。小中高大という一本の進路ではなく、もっと複線的な進路とし、自分の進みたい道を選び、それに合った学習、訓練を身につけるようにならないだろうか。

~企業が求める人材やスキルと教育が行っている訓練に、大きなミスマッチが生じているのである。完全雇用のためには、どの若者もそれぞれの特性を生かして、職業的に自立できる仕組みを中等教育の段階から組み入れていく必要がある。~

誰もかれも、学校の授業が将来役立たないことなど分かっている。不登校児童生徒が増え続けていることがその証拠だ。学校は大きな変革をしなければならない。しかし、国民が教育そのものに関心を持っていない。それが悲しい。(R4.4/14記)