読書『指導者の条件』Ⅷ

指導者の条件について学ぶのも最後にしたい。

~天地自然の理に従い、為すべきことをなしている限り、人間には不可能はないのである。~

「天地自然の理に従う」を検索してみた。『「雨が降ったら傘をさす」というような当然のことを当然にやっていく』ということだ。先日、「何が当たり前かが分からない」と言ったが、見落としていることはありそうだ。

~常に何が正しいか、何を為すべきかということを考えつつ、その正しいこと、為すべきことを行っていくについては、たとえ千万人といえどもわれ往かんというような真の勇気、大きな勇気を持つことが大切なのである。~

~事に当たり、不安を感じ、動揺することはあっていいのである。ただそこから自分で自分を励まし、勇気を奮い起こすということが指導者にとっては極めて大切なのだ。~

苦しい時に、自分を励ましているだろうか。そして勇気はあるとかないとかの問題ではない。奮い起こすものなのだ。指導者に必要なのは、勇気。

~どの人もまことに謙虚である。そしてきわめて感謝の念にあつい人でもある。それらの人々は、その会社なり団体の最高指導者でありながら、いちばん謙虚で、だれよりも感謝の心が強いように思われる。~

今日、私がこなした仕事について、同僚からお礼を言われた。私は「そんな大げさな」という気持ちになった。だが、その人は「感謝の念にあつい人」だとも言える。と考えると、「お礼なんて大げさだ」と考える者はある意味、感謝の心が低いとは言えないだろうか。そう、自分のことだ。どこかで、やってもらって当たり前、と思ってはいないか。もっとその基準を下げるべきではないか。その感度を上げるべきではないか。「ありがとう」と言われる人になるよりも、「ありがとう」と言える人を目指すべきなのかもしれない。(R4.4/8記)