読書『指導者の条件』Ⅶ

今日は入学式始業式だった。新たなスタートとなった。ここからまた一年が始まるのだな。指導者としての一年である。

~つねに信念をもって主体的に生きるためには、やはり、われ何をなすべきかを考え、その為すべきことをひたすらなしていくということが大切だと思う。指導者の要諦とは、見方によっては「為すべきをなす」ということに尽きる。~

何をなすべきかを考えるということ。この「考える」というのが一番難しい。現場は忙しい。まさに「忙殺」という語がふさわしい。まるであえて考えさせないように、業務を詰め込まれているかのようだ。ひとまずは、命じられたことを「何のためにするのか」その考えをもって取り組みたい。

~お互いが、この社会をよりよいものにし、人間の幸せを高めていくためには、まず人間が人間自身を知ることが大切だと思う。いいかえれば、人間とはどういいうものであり、どういう歩み方をすべきであるかという正しい人間観を持つということである。~

私なら、読書をしたり、映画を観たりして人間観を形成していけたらな。

~指導者は世の動きというものを敏感に察知し、刻々と新しい指導理念を生み出し、またそれに基づいた適切な方策を講じていくことが大切である。そのためには、やはりみずから日に新たであるよう心がけなくてはならないだろう。過去の考え方、これまでのやり方にとらわれることなく、日に日に新たな観点に立ってものを考え、事をなしていく、それが指導者として欠かすことのできない大切な要件である。~

従来通りでいいや、と思ってしまう自分がいる。新たな子どもたちを前に、一本筋のある何か、一貫性のある何かを押し出さなければならない。一人ひとりに目を向けること。集団として目を向けること。個を育てるとともに、集団を育てるのだ。その場限りが精いっぱいだけど、できることもあるはずだ。(R4.4/6記)