読書『指導者の条件』(松下 幸之助)

指導者の条件 (PHPビジネス新書 松下幸之助ライブラリー) – 2014/3/19 松下 幸之助  (著)

大事な式前日、床屋に行くが髪をザックリとやられてしまった。

私も指導者の端くれだ。私が受け持つ学級の指導者だ。そして私が所属している組合ではリーダー的位置だ。

~どんな場合にでも指導者はいうべきことをきびしくいうことが必要だと思う。いうべきことをいわず、いたずらに迎合していたのでは、一時的に人気を博することはあっても、それは人心を弛緩させ結局は大局をあやまることになってしまう。~

指導的立場の中で「どんな場合にでも」ということだろう。学級の中ではきびしくいっているのだが、組合ではとても十分とは言えない。私は構成員の中では、年齢的に中間に位置している。教師の職は辞しているが、組合のために所属している方が、半数ほどいることになる。その方々にいうべきことを言い切っているだろうか。言い切っていないのは迎合と同じかもしれない。

~身命をなげうち、真心を込めてやるという腹さえ決まっていれば、あとはその場合、その場合で考えたらいい。命をかけるというほどの思いがあってはじめていかなる困難にも対処していく力が湧いてくるのだと思う。~

「命をかける」私は何に命をかけているのだろう。強いて言えば、勤務時間を守ることぐらいか。私は、学級とか組合に命をかけているとは言えない。

~人々に自分の考えを訴えるということが極めて大切だと思う。一つの会社、一つの国をどういう方向に進めようとしているのか、そのためには社員なり国民なりに何を求めているのか、そういうことをはっきりと訴えなくてはいけない。~

私は、その長として、一つの組織をどういう方向に進めようとしているのか。そのために組織員に何を求めているのか。行き当たりばったりの行動ばかりで、そんなこと考えてもみなかった。やはりそれは、上記のことと関連していて、迎合しているのだし、他人任せにしているのだ。長だからと、浮かれ気分だったかもしれない。訴える前に、もっともっと自分の考えを醸成しなくてはならない。(R4.3/17記)