デッドライン仕事術 (祥伝社新書) 2007 吉越 浩一郎 (著)
私はこの人の考え方について強い感銘を受けた。それは単に仕事術の範疇ではない。私は小さいが労働組合の幹部もしているのだが、労働、特に労働時間に対しての考え方には大きく影響を受けている。
~足りないはずの時間を湯水のように惜しみなく使っている。仕事量が多いから残業せざるを得ないのではなく「残業すればいい」と思っているから、就業時間内に終わらないのだ。足りないのは時間ではなくスピードである。~
教員の現場はまさに時間を湯水のように惜しみなく使っている。私は勤務時間終了とともに帰宅するので実態は知らないが、休憩時間でさえもみな仕事をしている。そもそも就業時間という概念がないのだと思う。ちなみに私は就業時間を過ぎると、自分の時間すなわち財産が削られている気になる。
~集中して効率よく仕事を片付けるためには時間が有限だということを肝に銘じなければならない。原則として残業を禁止していた。~
肝に銘じ、ということは心底わからせるという意味だと思う。だがその一番肝心なこと、時間が有限だということを管理職は主張しない。それは、教員にはどれだけ時間外勤務をしても残業代が発生しないことが一因だ。どれだけ教員が余分に働いても、ふところが痛むわけではないからだ。「まあ、体を壊さない程度で好きなように働いてくれ」という感じだろう。
~仕事というのは息が詰まるほど集中して取り組むべきものだ。朝から夕方まで8時間、くたくたになって頭が痛くなるぐらいまで集中して働き、家に帰ってリラックスした時間を過ごすのが本来あるべき姿ではないか。日本ではリラックスタイムを会社に持ち込んでいるから残業がなくならないのである。~
私は、勤務時間が始まったら教師としての命が始まり、勤務時間終了とともに教師の命が終わると思っている。日中も、自分の命は勤務時間が来たら終わると思っている。これも一つの集中の形だと思う。その気持ちで仕事を全力でやり、それで終わらなければ、それでもいいと思う。(R3.7.9記)