読書『「論語」に帰ろう』Ⅲ

まだまだ徳は続く。

~「信」人物や品性、真摯さで人を心服させること。~

この徳はある意味、受け身的な考えだ。「信」は信用する、信頼する、というこちら側の意味ではない。信用される、信頼されるということ。

~「この上司なら、ついていこう」と思う最大の動機は、孔子ドラッカーの指摘のように「人柄」や「品性」、「真摯さ」に尽きるところがあります。~

人柄も、品性も、真摯さも、どうも自信がない。信頼されているとも、信頼されていないとも思えない。あまり友達がいないから、信頼もされていないだろうな。

なぜ自信がないか。一例つぉいて、自分は決まり事についての規範意識が薄いのだ。通勤やジョギングで信号さえ守れないことがあるのだ。「ど真ん中」を生きなくては、という心よりも、アウトローを好んでしまうことがあるのだ。「人柄、品性、真摯さ」とは、私にとって戦いでもあるのだ。

~「人柄」、「品性」、「誠実さ」を支えるのは、その人の感情と理性のバランスなのです。身にならない知識よりは感情のコントロールをもとにした品格ある行動こそ、リーダーに求められる、これが孔子の考え方でした。~

今になって思い返すと、自分は感情を爆発させてしまうことがあった。私は身にならない知識ばかり追い求めているのか。もっともっと感情をコントロール、というより感情を抑えることに努めねばならないのだろう。まだまだだなあ。(R4.1/14記)