読書『大人のお作法』Ⅵ

最後は人との付き合い方の作法だ。

~わたくしも自分が奉仕をする立場になったときは、目の前にいるその人以外には脇目も振らず、それこそ息を詰めて集中するように心がけています。目の前に現れたその人が世間であり、人間であると、かりそめにも定めています。そうしているうちに目の前の相手とわたくしが重なってくるような気がすることがあります。~

私は最近、仕事をする時「つくす」という意識を持つようにしている。公務員だから、全体の奉仕者なのだ。つくすことが働くことなのだ。だから、私の担当する子どもにつくさねばならない。目の前の一人ひとりの子に集中するのだ。その子こそが世間であり、人間なのだ。

~どうぞ貴方も目の前の相手だけに集中し、お努めなさい。そうするうちにはこちらと向こうの気持ちが重なってくる。これを以心伝心とも申しますが、小面倒な理屈はたがいに要らず、どこをどう間違えても相手と争うことはなくなります。~

そう考えると、今までの自分には、その集中力、注視力が足りなかったのかもしれない。どこか自分には、我欲や打算、下心があったのだ。

以心伝心というと、言葉に出さなくても心が通じ合えるとか考えがちだ。目の前の相手だけに集中してのみ得られる状態なのだ。

~思うようにならないのが人の世です。そのかわり予測さえできなかった思いがけない道が拓けることもあります。人知の及ばぬところに人生の難しさも妙味もある。時を惜しんで働いて、稼いだものを綺麗に遣ったらどうです。女にも男にも好かれるよう配慮を怠らず、心の赴くままのことをして暮らせば、さばさばとした心持ちで笑顔を湛えられるようになれる。~

どうしても自分の思うようにしようとする。ようやくそこから少し距離を置けるようになった。稼いだものを綺麗に遣うほどの思い切りはないが、もっと心の赴くままにしていいとは思っている。(R3.12/8記)