読書『夜と霧』Ⅳ

おそらく以下の文章が、本書の中で、いちばん有名だと思う。

~ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換することだ。わたしたちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ。~

この問いは、大きな方向転換だけあって本当に難しい問いだと思う。正直わかったようでわからないがこれを機に考えてみたい。

前者の問い、「わたしたちが生きることから何を期待するか」というのは、裕福になりたいとか、長生きしたいとか、成功したいとか、幸せになりたいとかという次元だろう。このような願望はある意味、他力本願である。

しかし後者の問いは違う。「生きることが私たちから何を期待しているか」は、「生きることから私たちが何を期待されているか」と言い換えることができる。自分は何を期待されているかと問われたら、期待に応えるために自分ができることは何か、自分のできる最善は何か、と考えることにつながる。他力が自力に変わるのだ。

そして「期待されている」と言われるだけでも、利己心がなくなり、自分の命を役立てようという気持ちになる。

~もういいかげん生きることの意味を問うことを止め、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。~

~生きるとはつまり生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。~

決して何かを期待してはいけません、自分のできることを力の限りやりなさい、それが課せられているのです、ということなのだと思う。(R3.11/15記)