読書『無名の人生』Ⅲ

~私たちの日々の生を支えているのは、もっとささやかな、生きていることの実質や実感なのかもしれません。この自然、この宇宙はわれわれにいろんな喜びを与えてくれるのですが、案外、人間の一生は、そうした思いもかけない、さりげない喜びによって成り立っているのかもしれません。~

自然や宇宙が与えてくれる喜びに気づかないだけなのかもしれない。名誉や成功ばかりを追い求め、それが得られなければ不幸だと思い込む。そうではないさりげない喜びで成り立っているのに。

~一日が終わってみて、ふとした瞬間、この世がすべて肯定できるような思いにとらわれる。他人の嫌な面も、己の醜さも、全部ひっくるめて、ああ、この世はこういうものなのだと受け入れるときがある。それはなんの理屈でもないし、自分から生み出したものでもない。誰でもふとそうした境地に立ち至ることがあると思うのです。いわば、向こうから訪れてくる幸せな瞬間が。だから「他力」なのです。~

先日、私は家の前にある大きな木を切った。業者に頼んでもいいほどの、結構危険を伴う作業で、実際ケガもした。生傷もできたし、肋骨の辺りが今も痛む。私は夜中、痛みに目を覚ましこう思ったのだ。

木を切った達成感は幸福、ケガをしたのは不幸だ。幸福もあれば不幸もある。

そしてケガは4つの苦しみ「生老病死」の「病」だろう。これこそ、生きることである。達成感も、ケガも受け止めよう。