読書『「助けて」と言える国へ』Ⅲ

 

私は、「生き方」系というか、人文・思想系の本を読むようになって、フランクルの『夜と霧』の存在を知った。本書にも登場する。

フランクルは収容所の中で「私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていない」という現実に直面します。しかし彼は生命の意味についての問の観点変更が必要だと気付きます。つまり「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである」と気づき、この問いの変更の中で彼は生還した。…私だけを見つめていたら死ぬということです。~

もはや究極の問いだ。「人生に何を期待するのか」ではなく「人生が何を期待しているか」だという。

私は、期待すれば人生は願ったものを私に与えてくれる、としか思っていなかった。極限状態におかれ、絶望し、それを乗り越えたうえで思いついた問いなのだろう。

~若者に君は何のために生きているのかという問いは、正確に言うと、君は何のために生かされていると思うかなんです。「夜と霧」でフランクルが述べたことです。~

何のために生きているのか、と問うていると、自分しか見えていない。「生かされている」と思うと、自分が自分から離れ、もう一方の自分を見られる。何のために生かされているのかな。