読書『仕事なんか生きがいにするな 』Ⅱ

筆者は価値ではなく、意味だという。

~私たち現代人は「いつでも有意義に過ごすべきだ」と思い込んでいる一種の「有意義病」にかかっている。常に「価値」を生むことを求められてきた私たちは、「有意義」という呪縛の中でもがき続けていて、大切な「意味」を感じるような生き方を想像する余裕すらない状態に陥ってしまっている。~

有意義を求めるとか、常に「価値」を生むということが、〈労働する動物〉に通ずるのだろう。「意味を感じるような生き方」というのが自分には想像もつかない。それはやはり私も〈労働する動物〉だからなのだろうか。

~「生きること」そのものをわれわれの意識が対象化し、それを「人生」と名付け、そこに「意味を問う」というベクトルを向けること、これにより、自分が己の人生の主人であろうとすること。この一連の人間ならではの営みが「意味への意志」というものの本質なのです。~

意味を問うというベクトルを向ける。それは例えば「今日一日は自分にとってどんな意味があっただろうか」と問うことか。「意味」の意味を調べたら、『ある表現・行為によって示され、あるいはそこに含み隠されている内容。また、表現・行為がある内容を示すこと。』とある。「含み隠されている内容」が気になる。はて、自分の人生に「含み隠されている内容」を探れと。自分の人生に何が含み隠されているのだろうか。

~人が生きる「意味」を感じられるのは、決して「価値」あることをなすことによってではなく「心=身体」が様々なことを「味わい」喜ぶことによって実現されるのです。~

自分は生きることを味わっているだろうか。ただその日その日を生きているだけではないだろうか。生きることを味わうことで意味が感じられるのだ。(R3.10/20記)