読書『仕事なんか生きがいにするな 』(泉谷 閑示)

仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える (幻冬舎新書)  – 2017/1/28
泉谷 閑示  (著)

自分は仕事なんて生きがいだと思ってないけど、じゃあ何が生きがいかと聞かれても即答できない。前回は、仕事をすることで自己の存在意義や誇りを見いだせるのだと記した。存在意義や誇りって、生きがいとほとんど同じじゃないのかな。

~いつの間にか人々は、人間らしい「観照生活」を失ったのみならず、人間らしい「仕事」も失って〈労働する動物〉に成り下がり、歯車のような「労働」によって次々に消費財を生み出しては、取りつかれたようにこれを消費するという人間らしからぬ状態に陥ってしまったのです。~

観照生活」の観照とは本質を見極めるという意味。よく「生きるために働く」のか、「働くために生きる」のか、という問いをすることがある。取りつかれたように働いていては、本質を見極める生活などほど遠く、人間らしさも失われまるで動物のようなのだ。

~機械化や情報化がここまで高度に実現されたにもかかわらず、人々は一向に〈労働する動物〉状態から解放されることなく、むしろあべこべにIT機器の奴隷のように長時間労働に従事させられているというかなり本末転倒な状況に陥っているのです。~

これは本当に不思議だ。自分も今の職について30年、ワープロ、パソコン、メール、コピー、ファックス、タブレット、などなど新しい機械がどんどん導入されてきた。仕事を効率化させるために、便利にするために、それらを導入したのだろうが、我々の仕事量は増え続けるばかりである。こんなにおかしなことがあっていいのだろうか。まさにIT機器の奴隷だ。我々はIT機器に利用されているのだ。いいかげん、「人間」を取り戻さなくてはならないのではないか。(R3.10/19記)