読書『負けるが勝ち、勝ち、勝ち!』Ⅳ

表題にもなった言葉が出てくる。

~負けるが勝ち。負けた人の方が運がたまるから。勝とうとすると、自分の運が減っていくんです。言い合いになった時は、自分が正しいか正しくないかということより、運を減らさないことを大事に考えた方がいいの。~

勝とう、勝とうという気持ちは、仏教の観点からすれば「とらわれ」「執着」である。それがよくないことは理解できる。

運を減らさないために、正しくないことも受け入れろという。どうなんだろうか。

~自分が一歩引くことによって相手に嫌われるのを避けられるということ。人に嫌われないことはすごく運になるの。~

『嫌われる勇気』という本があったな。引いてばかりでもいけないと思うけど、少し前までは自分も自分を押し出してばかりだった。「自分が」という気持ちが強いまま、みんなにいい顔をしようとしていた。ここで肝要なのは「一歩」ということなのだ。前へ前へという気持ちではなく、一歩だけ引くのだ。一歩だけ下がることで、適度な距離間がとれ、全体像が見られる。客観的に、冷静に物事が見られる。決して自分の存在をなくせということではない。

~人生って結局、運をどれだけためられるかっていう勝負なんです。だから、そのほかの勝負で勝とうなんて思わなくていいの。負けるが勝ち。~

~負け好きの人の方が運の神様は味方してくれます。悔しいなと思いながらぐっと我慢して「負けるのが好きなんだ」と思った方がいい。「悔しいけど我慢」これが大事。~

負けることは、あきらめることではない。我慢することも、あきらめることではない。「表で負けて裏で勝つ」ということではないかな。(R3.8.2記)