読書『心の休ませ方』Ⅲ

著者の言葉は私の痛いところを突いてくる。

~生きることに疲れたあなたは極めて傲慢な人であり、生い立ちという視点から見れば、本当に同情すべき人なのである。「自分をもっと大切にしてくれ」と訴えているのである。~

傲慢な人と言われて嬉しいわけがない。ただ思い当たる節はある。私は努力さえすれば自分の思い通りになると思い込んでいたことだ。

~「私はつらい」「私は不幸だ」は「私を愛して」という意味である。彼は人生にあるいは周囲の世界に復讐的になっている。~

復讐的というのも思い当たる。私はいつもどこかで「いつか見返してやる」という気持ちを持っていたのだ。それを発火装置にして努力してきたのだ。

うつ病になる人は幸せと感じることを拒否する。心の底の憎しみが消えていないから「幸せ」とは言えない。自分が幸せと認めたら、もう周囲の人を責められない。~

「心の底の憎しみ」。私は心の底に憎しみの感情を持っていたのだな。何を憎んでいたのだろう。誰を憎んでいたのだろう。漠然としたものなのだろうか。

~生きることに疲れたのではない。正確には憎しみを抑圧することに疲れたのである。憎しみが心の底にあるから、他人に優しくなれない。他人に優しくなれないから本当の友達もできない。人に対して心を開けないでいる。マジメに生きているのに報われないという不満である。~

私は人に親切にすることはできるけど、優しくはなかったのだ。私には本当の友達はいない。人に対して心も開けない。自分の中の憎しみの感情に向き合わねば、ずっとこのままの生き方なのだ。