読書『 老いを照らす』Ⅴ

この本の中で、一番心に残ったところかもしれない。

~自分は自分が選んで今の姿になれたわけではない。つまり自分のものではない。自分さえ自分のものではないのに、どうして自分の配偶者、子供、財産が自分のものだろうか。自分のものではないのだから、思うようにならないのは当然ではないか。~

自分は自分のものではないという。せめて自分くらい自分のものとしてもいいはずなのに。今の地位とか生活とかではなく、この世に生まれてきたこと自体、自分が選んだものではないのだ。

~この世には人間にはどうしてもコントロールできない領域のものがある。だからそれを全部自分でコントロールできると考えるのは非常に傲慢なことです。~

自分は仕事だって生活だって、努力次第でなんとかなると思っていた。いや、思いのままになると信じて疑わなかった。そして努力してもそうならない時に、自分を追い込んだり責めたりしていた。「思うようにならなくて当然」と言われると救われる。

思うようにならない人生を、どう考えるか。その答えが「縁」だ。

~縁というのも仏教の基本概念です。私たちが生きて暮らしていけるのも、無数の「縁」のお計らいです。私たちは「縁」に生かされている。このことを忘れ、自分の才や財におぼれると人も社会も腐ります。~

自分が生きているのではなく、「縁」に生かされている。「縁」が私を生かしている。

~悪評という「縁」が私を図らずも導いてくれたのです。ですからみなさんも人に誹られたり逆境に立っても、それらを「縁」として活かせないか、前向きに考えてみましょう。仏様はやさしいですから、いかに不器用でも、努力する人、前に進もうとしている人を決して見捨てたりはなさいません。~

思うようにならないこと、逆境はあって当然。あってほしくないことと考えるのではなく、「縁」と思うこと。それを活かすことを考えること。