読書『 「できる人」という幻想 』Ⅱ

二つ目は必要以上にグローバル人材を求めていることである。

~「グローバル化」なるものの本質は何も変わっていないのではないか。このフレーズは危機感を煽る意味でも、成長の期待を高める上でもうまく利用されてきた。~

グローバル人材というのは、外国語ができて、海外でも活躍できる人材ということだ。世の中は急速に発達し、いつしか世界の各国と競争を強いられるようになった。一昔前は自分の身の回りだけで競争していたのに、競争相手がいつの間にか広がっていたということだ。

だからといって日本の小中学校、高校、大学という教育課程で、そのグローバル化という変化に対応してきたかというとそうではない。英語教育はずっと「読み書き」中心で「話す聞く」はないがしろにされてきたし、小学校の英語教育でさえ、今年度ようやく本格実施されたくらいなのだ。それなりの教育も受けていないのに「世の中が変わったのだから、お前たちも変わらなければならない」と言われたってねえ。

ダイバーシティに取り組んでいる企業が儲かっているのではなくて、儲かっているからダイバーシティに取り組めるのではないか。こういう因果関係が逆転した議論がまかり通っているのが現実ではないか。~

ダイバーシティの中の「人種」という点からすると、日本の教育はクラス全員が単一民族だという前提でカリキュラムを組んでいる。その点からも、遅れている。

~グローバル人材の育成は否定しないが、それはいつ効くのかという視点を持つべき。グローバル人材育成なるものは、正論のようでいて、大学と企業の評価を上げるための国家をあげた茶番劇なのだ。これもまた若者に「できる人」という幻想を突き付けるものである。~

小学校3年生から英語活動が始まったのだが、どれだけ効果があるのかと思う。「これからの世の中は、英語が出来なきゃだめなんだよ」と子どもに迫っても、実際、どれだけの子が(受験以外で)英語を使う機会が出てくるのだろうか。