読書『 人間であること』Ⅴ

我々はややもすると子どもを抑え込んでしまいがちだ。勉強ができるように、成績が上がるようにとこちらは課題を出すなどして働きかけることになる。

~私たちをして強く身構えさせて、本能の欲求を満たさせている心が大脳辺縁系で生み出させる情動の心である。私たちは不快感を避けて快感を求めようとしている。それでも満たされないと、不快感はこうじて怒りの心へ爆発し、相手を威嚇し、攻撃をかけて争うようになる。集団の中で「たくましく生きてゆくために必ず付きまとう生存競争である。~

そうすることが子どもに不快感を与えることになってしまう。不快感から、攻撃や争いが生まれるのは必然なのだ。それをパワーゲームで押し切ってはいけない。本能の欲求を満たしてやることが大切なのだ。マズローの考案した「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」は教室のあらゆる場面で満たしてやらねばならないのだ。我々が行う教育活動も、本能の欲求を満たすためのものだと再確認せねばなるまい。

~スピード化、情報過多の生活環境は、私たちから思考する時間を奪い取っている。映画やテレビなどの映像は、思考を遮断し、私たちの目と耳を遮二無二引き立てていく。ヒトラーは豪語している。「支配者にとって幸福なことは、民族が考えないことだ。」目まぐるしい毎日の生活の中に静かに思い、静かに考えるいとまをもっと持ちたいものである。~

テレビやネット、スマホなどの情報に主体的に関わることはできない。テレビ漬け、ネットサーフィンもどっぷりつかるという形容だろう。それを眺めていれば何も考えなくてもいいわけだ。まさに囚われている。思考する、思ったり考えたりするために、テレビやネットを遠ざけなくてはならない。