読書『 釈迦とイエス 真理は一つ』Ⅱ

「諦」というものについてもう少し書きたい。

~死は避けることのできない人の定め。どんなに愛していた人だったとしても死を受け入れるしかない。これが諦です。惜しんでも悲しんでも決して元に戻ることのないものについては真理を見極め諦める。諦という教えにはそのような決断も含まれているのではないか。~

~諦というのは、ただ諦めるということではありません。前向きな努力を尽くしたうえで、これ以上は何をやっても失われたものは戻らないと心の底から納得する。そのように長い努力の末にやってくるのが本物の諦念であり、釈迦が伝えたかった真理ではないか。~

やはり並大抵のことでは諦めてはいけないのだ。心の底から納得するまで長い努力をした結果、諦められるものなのだ。

~自分だけが不幸だと思うと耐えきれなくなります。逃れられないものについては思い悩んでも仕方ないのです。仕方がないのだと思い定めて、気持ちを落ち着かせる。それが「諦」です。~

思えば自分は「思い定める」とか「気持ちを落ち着かせる」という行為をしたことがなかった。かつて、自分がなんて不幸なのだと思い込んだことがあったが、そういう意識をもっておけばよかったのだ。