読書『働きすぎの時代』Ⅳ

多分そうであろうと思っていたが、やはりそうだった。

~日本は余暇あるいは自由時間の大きさでみると、今日でも先進国のなかでもっとも貧しい国にとどまっている。~

我が国は、金銭的に豊かであっても、豊かにすごしてはいないのだ。もちろん今では金銭的にも豊かでないが。

働きすぎというのは「消費」と関係がありそうだ。

アメリカ人が働きすぎになった背景には「働きすぎと浪費の悪循環」がある。現代を「消費社会」「消費資本主義」ととらえ、その原動力を現代消費の競争的性質に求めている。人々は消費において他人と比べ、他人と張り合い、他人に誇示する。~

~こういう消費環境においては人々は質素な生活をもって良しとせず、欲しいものをできるだけ手に入れるために仕事はきつくても労働時間は長くても残業や掛け持ち仕事をしてでも、できるだけ多くの収入を得ようとする。~

豊かな生活を得るために、消費行動があるはずなのだが、モノばかり増やしていて享受しきれていないということだ。

~消費競争はどこまでいっても満たされることのない無限軌道である。それどころか人々は消費を増やすほどますます不満を強め、貧しく感じるようになる。なぜなら消費が増えるにつれて欲求の範囲が拡大し、欲求の対象が高度になるので、新たに形成される消費基準に照らせば、実際に表現された欲望はますます小さく見えるからである。こうして人々は欲求を満たすためにますますハードに働かなければならなくなる。~

そういえば、テレビを眺めていると、最近とみにコマーシャルが多くなったと感じる。通販そのものが番組になっているものもある。ラジオでもそうだ。宣伝をさせられているパーソナリティに同情したくなるほどだ。「買わんかな」の大合唱だ。

消費社会は、情報通信技術の発達とタッグを組んで、働きすぎ社会を助長している。便利さ、低価格の商品を大量に売りつける、その裏で長時間労働が蔓延しているのだ。