読書『働きすぎの時代』Ⅲ

株価至上主義、グローバル化、情報通信技術の発達により労働時間が長くなった。

なぜ、労働時間が長くなってはいけないのか。

~労働時間にはそれを越えては延長できない、肉体的、精神的、家族的、社会的限度がある。人間には一日の24時間を周期に生活しており、一定の睡眠、休息、食事、入浴などの時間を必要とする。また、一定の社交、文化、教養、娯楽、運動などの時間も欠かすことができない。~

私は病む前、仕事と向き合いながら、前向きに働くのと同時に、「こんなに働いているのに、どうして苦しいのだろう、どうしてこんなに生きにくいのだろう」と思っていた。目の前にふりかかってくる火の粉を追い払うのに精いっぱいだった。

休職して、いろんな本を読むようになり「苦しむ理由、生きにくい理由」が自分なりにわかった。それは「教養」があれば、一般常識があれば、わかったいたようなことである。私は、仕事に関すること以外、何も知らなかったのだ。まさに「仕事バカ」だったのだ。

~家庭生活を営んでいる場合は育児、炊事、洗濯、掃除、買い物などの家事労働もついて回る。ある程度の自由時間が無ければ地域参加や政治参加もできない。こうした限度を超えてあまりに長時間働く/働かせると、労働者の健康は破壊され、精神は蝕まれ、最悪の場合は家族や社会の意地さえ危うくなる。~

例えば電化製品など技術の発達で、家事労働などは大幅に楽になり、時間が短縮できるようになったはずである。だがその分我々の生活は豊かになっただろうか。家事労働が短縮化した分、労働時間を増やしている。

また、選挙の投票率が激減していることを嘆かわしいとする論調がある。そうではないのだ。働かされすぎて、政治に参加する余裕がないのだ。ある程度の自由がなければ、社会や政治への関心もなくなるのだ。それが、現政権の独裁を招いているのだ。