読書『ストレスと適応障害』Ⅳ

ストレスとは困難である。困難にぶち当たったときの心の持ち方を示している。

~「これほどの試練を受けるのには、何か意味があるはずだよね。あたかも何かが僕を待っている。何かが僕に期待している。何かが僕を求めている。僕は何かのために運命づけられているとしか言いようがないんだ。」~

もう誰の言葉か分かる。ビクトール・フランクルの『夜の霧』だ。人は追いつめられると、自分の心の有り様しか見えなくなってしまうものだ。気持ちが自分へしか向かなくなるのだ。自分を問い詰めたり、自分を否定したりしてしまうのだ。

~人が生き延びられるかどうか、その人が幸福であるかどうかを左右するのは、生きることにその価値を見出せるかどうかだということ。どんな試練に出会おうと、そのことに意味があると感じることができれば、その人はそれに耐え、それを乗り越えることができる。~

試練に対して「そのことに意味がある」と感じられるかどうか。似たような言い回しに「ピンチはチャンス」がある。よく聞く言葉だが、本当に窮地に立たされた時、「今がチャンス」と思えるかどうか。

そういう切り替えができるかどうかは、その時の心の健全さにかかっている。私は自分が適応障害になったときは、そう思えなかった。きっと慢性的に疲れていたのだろう。

~態度的価値とは苦難や試練に出くわした時、その人のとる態度に示される価値である。いわば境地といったものに近い。「たとえば苦悩の中における勇気、没落や失敗においてもなお示す品位、などの如きである。」何もできない無力な状況に置かれようと、その人は態度的な価値を示すことができる。~

だから私は、その時に態度的価値を示すことができなかったわけだ。

~本当に必要なのは、フランクルが見抜いたように態度的価値を高める努力をすること。~

今なら、あの時より態度的価値を示すことができるかもしれない。