読書『人生の逃げ場』Ⅵ

 

著者のプロフィールに「専門は文化人類学。特に宗教、癒し、社会変革に関する比較価値研究。」とある。仏教に関する記述が出てくる。

ー富士山のような超越的な存在は、本来自分があるべき姿に、あるべき生き方に、自分を戻してくれる力があります。超越的な存在を心の土台に据えることが、私たちが生きていくことを楽にさせ、また強くさせます。ー

私も、超越的とまではいかないが「自分ならもっとできる」と思い込んでいたようだ。超越的な存在とは、ここでいう神とか仏。超越的な存在を意識すれば、自分の無力さを自覚することになろう。

ー仏教から人の魂や苦悩を救済する力が衰えていったのは、私たち自身が経済成長のほうばかりに意識を向け、仏教に対して本来の役割を求めなくなっていったからです。ー

私は「経済成長」というより、自分の成長だった。実績と言ってもいいかもしれない。自分の力でなんとかする。誰かに助けてもらおうと思ってもいなかった。

ー仏教では「地位や名誉に自分が執着していることが、自分を苦しめている原因である」と考えます。自分を苦しめている原因は自分にあるというのです。自分の世界に対する認知の仕方が自分を苦しめる原因になっているのです。認知の仕方を変えることで我々は苦しみから解放されると仏教では考えるのです。ー

私は休職をきっかけに、禅寺で座禅を始めた。宗教に関する本も幾冊か読んだ。そんな体験は今の自分の考え方を支えていることになっていると思う。

私はかつて教師であることに執着していた。「子どもに学力をつけさせたい」「よい授業をしたい」そのような執着だった。そうやって駆り立てて自分を苦しめていたのだ。今は、認知の仕方を変えたので、その点では苦しんでいない。