読書『静思のすすめ』Ⅷ

心静かに、というワードが出る。それこそ静思だ。

~仏様は「心が苦しくなったときには、心静かに自分に3つの問いかけをしろ」と言われます。「自分に与えられたものをしっかりと見つめ積極的に受け止めていますか」、「初心を忘れていませんよね」、「相手の心を忘れ自分の思いだけで生きていませんか」~

週の始まり。やらなければならない課題が多すぎて、心が苦しくなった。一つ目の問いかけ。自分に与えられたものとは何だろう。今の自分の立場か。この多すぎる課題か。

どちらにせよ、積極的に受け止めてはいないな。私はその多さにひるんで、自分を苦しめていたのか。

二つ目の問いかけ。初心を忘れているのか。そもそも初心とは何だ。あるとするなら時間外労働をせず、与えられた時間の中でやりくりをするということか。

三つ目の問いかけ。相手とはだれだろう。管理職か。同僚か。子どもたちか。これもいずれにせよ、どの人の心も眼中になく、ただ自分の課題を解決しようとしていた。これはよくない。やはり相手の心を考えなくてはならない。

実際にやってみると、静思は大切だ。

~「忍を認にせよ」ただ単に我慢するのではなく、心静かに考えて、積極的にその苦の原因の理解に努めれば苦しみは苦しみでなくなる。~

~「静思=静かに心を落ち着けて思うこと」それは「立ち止まってよく考えてみる」という誰の足元にも転がって一顧だにもされていないごく当たり前のこと。静思のおかげで相手を思いやれるようになった。「たった一人でも私の話を聴いて、心が軽くなった人がいればそれで十分」と考えられるようになりました。~

静思の大切さはわかるのだが、現代人にとって「立ち止まって考える」ことがいかに難しいことか。立ち止まっていられるほどの余裕がない。立ち止まったら周囲から置き去りになる。それこそ、私のようにドロップアウトしないと立ち止まれないのだ。