読書『不幸な国の幸福論』Ⅹ

あきらめ力が幸せになるポイントなのだ。

~「諦める」明らかに見極める。物事の本質を見極めれば、つまらないことに固執しなくなる。その上で断念すべきことは潔く思い切り、自分なりの目標や夢に向かっていく。「あきらめ力」を磨くことが幸せな人生に繋がっていく。~

今日も定時で帰った。時間外労働をしている同僚を尻目に「そんなにがんばったって、子どもは変わらないよ」と心の中で思ってしまった。私は、自分の時間を削ってまでも、子どものために働く、学校のために働くということを諦めた。

いい先生になることやいい先生だと評価されることが自分の目標や夢ではない。物事の本質なんて分からないけど、私は、いろんなものを犠牲にして、仕事に捧げることは間違っていると思えるのだ。だが、時間外でも働いている先生たちが、不幸に見えるかというとそうではない。仕事で自己実現しようとする姿はある意味、幸せそうでもある。

仕事というものは、本当に捉えどころのないものだ。

~「変えることのできないものを受け入れる冷静さと、変えることのできるものを変える勇気を」(ニーバー)変えられるものと変えられないものについてじっくり考え、明らかにしてみる。~

テレフォン人生相談でも、パーソナリティが言っていた。「変えられないものは受け入れる努力をしましょう」と。

~誰もが自分の最大利益を追求しようとすれば、結局、誰も幸せにはなれません。地球という限られた世界の中で受け取れるパイは限られている。それを自覚し、みんなで少しずつ我慢し合って持続可能な環境に優しい社会に変えていく。大きな得はなくても、みんなが大きな損をせずにすむ社会に変えていく。~

「地球という限られた世界の中で」なのだ。我々は利益を甘受している半面、世界には生きることさえ困難な人々もいる。前述した「知足」という意識が必要なのだ。「ほどほどでいい」と思えること。

読書『不幸な国の幸福論』Ⅸ

今回の幸福のポイントは2つだ。

 ~足るを知る者は富む。何事においても足るを知って満足することのできる者が本当の意味で豊かな人間なのだ。足ることを知れば人によって辱められる心配がなくなり、ほどよいところでとどまれる者は危ない目に遭わずに済む。心穏やかに長らえることができるのだ。~

「足るを知る」現代人に一番欠けている思考ではないだろうか。なぜ現状で満足できないのだろう。きっとこの社会が競争社会で成り立っており、物心ついた頃から、他人と比べられ、競争させられているからだと思う。常に「成長」「向上」「改良」を求められるのだ。

~モノやお金、名声や地位や他者の評価といった自分の外側にあるものに振り回されるな。もっと自足して生きよう、とすすめている。~

競争漬けされているということは、自分を他人との比較でしか見出すことができない。自分で自分を確立させられない。よって常に他者の評価を求め、振り回されることになる。

~外的価値を高めようとあくせくしたり、他者の評価を気にしたりすることに時間とエネルギーを費やすのを思い切ってやめてみる。人生をコントロールする力を自分の手に取り戻していくことが大事。今自分が手にしているものの中にある喜びを積極的に見出していけるようになるはず。~

私もかつて「もっといい先生になりたい」「いい先生と言われたい」なんて思っていたな。外的価値を高めようとしていた。莫大な時間とエネルギーをかけていた。それは人生を自分に手でコントロールしていなかった、他者にコントロールされていたということなのだろうか。

~強めて行う者は志あり。自分を励まし、志を持って努力を続けようと説いている。今の自分が持っているものに満足し、自分を肯定できる人は、周囲の意見やら見栄やら流行といったものに惑わされたり、人と比較して自分にないものを求めたりすることが少なくなる。それゆえ、自分の性格や能力に応じた目標を定め、今の自分にできる努力を正しい方向に積み重ねていくことができるようになる。知足と努力の二つはセットでこそ力を発揮する。~

今の自分が、性格や能力に応じた目標を定めて努力している、とは言い難い。最近、意識していることは、「今日の自分は皆さんの役に立てただろうか」ということだ。それは志なのかな。「知足と努力はセット」というのが心に刺さる。

読書『不幸な国の幸福論』Ⅷ

幸福のヒントは、未来志向で生きるということ。

~今のつらさをこれからの人生で生かそうと未来志向で生き始めた途端、不幸は不幸でなくなります。それどころか幸福を見出すための貴重な財産になる。~

自分がつらかったあの時、どうしてこう思えなかったのだろうか。つらい時って、もうそこしか見えなくなってしまう。そしてこのつらさがこれからの人生、ずっと続くものと思ってしまう。振り返ってみれば、確かにあの時つらかったのだが、今は、そういうものだったのだと受け入れている。

~失敗や挫折は自分というものをよく知る機会でもある。小さな失敗を重ねることで自分の能力や適性が見えてくるものだ。しなやかな強さも養われていく。~

やはり失敗を回避するのではなく、失敗を受け入れることが必要なのだ。自分の失敗はもちろん、他人の失敗も受け入れなくてはならない。

~やっていて自分が楽しい何か、自分を喜ばせてくれるものであれば、どんなことでもいい。好きなことがある人は強い。免疫力アップに最も効果的なのは自分にとっての「好き」を見つけること。子どもの幸せを願うなら、親や教師はまず何よりも、子どもたち一人ひとりが好きなことを見つけて伸ばしていけるような教育をすべき。~

人生は思うようにはいかない、つらいこともたくさんある。失敗も挫折もある。だからこそ、自分が楽しいと思えること、喜べること、好きなことを大切にしよう。コロナで不自由であるけど、ジョギング、読書、映画、グランパス。いろいろあるぞ。そして親であり、教師でもあるので、子どもたちにも好きなことを見つけ伸ばすことを心がけよう。

読書『不幸な国の幸福論』Ⅶ

不幸、幸福といった話題になると、よく出てくるのがこの人だ。『夜と霧』の作者である。

フランクルは懸命に語りかけます。人生はあなたに何かを期待している。生きていれば、未来に、あなたを待っている何かが必ずある、と。~

~人間が生きることには、常に、どんな状況にも意味がある。だから人生に期待するのをやめて、人生から自分が何を期待されているかを考えよう。この苦しみにも意味がある。この苦しみを通して、人生は自分に何を期待しているのだろう。~

我々は、自分の人生に幸福、不幸がないことを期待してしまう。そうではなく、人生に何を期待されているか、ということだ。だが、そもそも、人生が期待できるのだろうか、この発想の転換は本当に難しい。「人生」と「自分」を切り離して考えられないのだ。

もっと裕福になりたい。みなから尊敬を集めたい。そんな期待はまずやめる。そんな欲望はまず捨てる。自分をまず無にしてみる。

~求め期待する生き方から、かけがえのない人間存在一人ひとりに期待されている「果たすべき何か」を自覚して生きる自分へ。自分が回ることで、自分という宇宙を動かし、人生を作っていく。それもまた幸せに生きる鍵の一つ。

「人生から」というのは難しいので、自分の欲や期待を無にした状態で、自分が求められていることを考えてみる。家族の一員であること。嫁や娘、孫たちにしてやれることが(山ほど)あるな。職場の一員であること。担任として教え子たちにしてやれることがあるし、もっともっと工夫ができるな。そして社会の一員であること。もっと貢献できることがありそうだ。自分の使命、役割というものがある。それを果たしていくことが、幸せに生きる鍵だ。自分の欲望や期待を満たすことが幸せではないのだ。

読書『不幸な国の幸福論』Ⅵ

幸福や不幸なんて存在しないと言いながらも「幸せに生きる上で大切なこと」が書かれている。

~幸せに生きる上で大切なこと、まず一つは心というものが秘めている力について。苦しみの中から新たな生きがいを見つけ、立ち上がっているだけの力もまた、人の心は宿している。その力は私たち一人ひとり誰の中にもある。~

苦しかったらどうするか。休んでしまえばいい。逃げてしまえばいい。放り投げてしまえばいい。私もそうさせてもらいました。そうしてもいいように制度がある。そうして時間がたてばまた元気になれる。

~二つ目は生きがいは意外と簡単に持ち得るものだ。誰かのために今の自分にできる何かをしてみるといい。ささやかなことでいいから人のために体を動かしてみるのです。誰かの役に立っているという素朴な喜びは自己肯定感に結び付く。生きていくエネルギーの源となる。~

私も「誰かのためになっているはず」というのが仕事へのエネルギーです。もし私が休んだら、辞めたら、受け持ちの子たちの面倒は他の人がやらなくてはならない。明らかに他の人にしわ寄せがいく。だから私が仕事に行くだけで、誰かのためになっている。私はそう考えます。私は、もう向上しようとか、成長しようとか思いません。自分のことは考えません。仕事に行って、自分なりの全力を尽くす。それが誰かのために役立っている。そう考えています。

映画『コンティニュー (2021)』

コンティニュー (2021)  BOSS LEVEL 監督 ジョー・カーナハン

隣市のショッピングモール付設の映画館で観賞。この劇場だけは55歳以上1100円なので、有難い。

対戦ゲーム的な画面から、いきなりバトルシーン。死んでも死んでもまた同じ1日が始まる…どこかで観たことあるぞ。そうだ『パーム・スプリングス』だ。『パーム~』は結婚式、本作は殺し屋から狙われる毎日だ。そんな毎日がコンティニューなのだ。

私は対戦ゲームなんてやらないんだけど、ゲームキャラみたいに、カーチェイス、銃撃、殺陣、爆破と、殺し屋たちのキャラもたっている。死んでも死んでも次の日に生き返るのだから、暗さはない。それよりも、無限ループを繰り返す中で、主人公がどう力をつけていくのか、どう抜け出すのかというストーリーが面白い。

ループに入ったら、問題が起きても、時は解決してくれない。自分の生活、環境の中でもがきながら解決の糸口を探すしかないのだ。主人公が、すべてを総動員して解決していく姿に心惹かれました。高評価どおりの良作だと思います。

 

映画『クルエラ (2021)』

クルエラ (2021)  CRUELLA  監督 クレイグ・ギレスピー

とおっても久しぶりにヨメと映画を観た。ヨメはジブリとディズニーしか観ない、と決めているのだ。市内の映画館では、本作はもう1日に3本しか上映しない。まあコロナ禍の中で上映してくれるだけでも感謝しなきゃ。

私、クルエラも101匹わんちゃんも知らないのですが、この映画、おススメです。某サイトで高得点だが、その期待を裏切らないどころか、上を行く作品です。

まず映像がキレイです。パーティーシーン、衣装、イギリスの街並み、細部にわたりていねいでしかも豪華です。そして展開が面白い。2時間20分と長いのですが、全く長さを感じさせません。シリアスに傾きつつもところどころに笑いも取っています。そろそろクライマックスかと思ったらさらに上天井がある、そんな展開です。もう一つは、主演のエマ・ストーンの魅力でしょう。彼女の射貫くような視線、存在はぴったりだなと思いました。

やっぱりディズニーは外れがないですな。「ムーラン」を配信に回したり、「ブラックウィドー」のように何度も公開延期したり、最近良い印象がなかったのですが、これはアタリですよ!