読書『不幸な国の幸福論』Ⅴ

幸福だ、不幸だと騒ぐが、どんな状態をそういうのだろうか。

~幸福を定義しようとしてはいけない。幸福について誰かがした定義をそのままうのみにしてもいけない。幸福とはこういうものだと考えた途端、その定義と自分の状態とを引き比べ、何かしらのマイナスを見つけてしまう傾向が私たちにあるから。~

私はコロナの前によく老人保健施設へ歌のボランティアに行っていた。(今は自粛中だが収まればまた再開したい。)そこでは「上を向いて歩こう」「ふるさと」など、弾き語りで懐メロや童謡を歌うのだ。「幸せなら手を叩こう」もレパートリーの一つである。私はその曲の前に問いかける。「みなさんは幸せですか」と。すると、「幸せです」と言い切る方もいれば、複雑な表情をする方もいる。

「幸せですか」という問いはとても複雑なんだな。心の持ちようでもある。

~幸福や不幸なんてものは世の中に存在しない。ただ人間がそういう言葉をつくり、ある状態に対して評価をしているだけ。幸福とは非常に曖昧で多様で流動的なもの。~

自分だって、自分が幸せかどうか分からない。今は平穏だが、今の暮らしが突然崩れてしまうかもしれない。自分だって、自分の家族だって、本当はいつどうなるのかもわからない。すると、健康であることや、豊かな生活ができることが、幸せなのだという定義になる。その定義で本当に正しいのだろうか、とも思う。こうして問うことができること自体、幸せなのかもしれない。

幸せか不幸せかなんて、二者択一で考えてもあまり意味がないのだろう。ただ、不幸だからと自分を追い詰めてしまうことがいけないのだろう。

 

読書『不幸な国の幸福論』Ⅳ

日本人は流されやすい国民なのだ。

~日本人の流されやすさの根底にあるもの。その一つは、日本人というのは非常に好奇心旺盛な国民だということ。それゆえに、古来、他国の文化に興味を持ち、柔軟かつ巧みに取り入れることができた。しかし一方で目の前に現れた珍しいもの、新しいものにひょいと飛びつきがちな性向をときの権力者たちにうまい具合に利用されてきた。~

好奇心旺盛というのが意外な気もするのは井の中の蛙だからだろうか。その性向が、経済成長にも技術発展にも寄与したとも言えよう。飛びつきがち、と言って顕著な例は、「〇〇ダイエット」ともてはやされ、スーパーで一時的に品薄状態になる現象だろう。

~二つ目の要因は日本人の集団主義的な傾向や個を主張しにくい社会にある。集団から外されたり浮くことを怖れていれば、その場の空気や趨勢に流されてしまう。~

「常識的に考えて~」「世間では~」「普通は~」何気なくこれらの言葉を使ってしまう。すべて集団主義志向ワードだ。このワードの脅しが効いてしまうのだ。最近の流行は「絆」だろう。使いようによっては個の主張を封じ、連帯を強制する言葉だ。

~三つ目にして最大の要因は「考えない」が習慣化している人が多いこと。考えない人ほど自分で自分を不幸に追いやってしまいがちだが、社会全体についても言える。人間というのは「どうせ無理」「長いものに巻かれろ」といった気持ちが強まると、それについて考えること自体を止めてしまう傾向がある。~

一例は選挙の投票率の著しい低下だろう。「どうせ自分の一票は政治に反映されない」と思えば自分の票の重さを考えないだろう。

どのように打開するのか、そのカギは?

~「市民」であろうとすることが肝要。市民とは、自分の周りの世界がどう組織されるかは自分の行動にかかっていると、おりにふれて自らに言い聞かせる人間である。市民はときに不正に対して憤り、なんとかしなくてはと思いたって社会に関わっていく。受け身の姿勢では市民の立場を失う。~

市民でなければ、庶民だ。政治家も責任を果たしていないのだろうが、市民もその責任を果たしていない。自分の一票で政治を変えることができると自覚を持ち、一票を投じるという行動に出る。市民、有権者としての責任があるのだ。

映画『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事 (2021)』

生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事 (2021) 監督 佐古忠彦

映画の日。隣市のミニシアターで夕方から鑑賞するのは久しぶりだ。この作品は、かつて都会でも上映されており、圧倒的高得点を叩き出していた。少し遅れても評判のいい作品を上映してくれるミニシアターの存在は有難い。

私はこの知事の名前を知らなかった。一億玉砕という風潮の中で、前任者も軍と協力すると約束した中で、県民の命を守ろうと悪戦苦闘したのだ。私も社会科教師の端くれなので、当時の日本軍が、沖縄戦でどのような愚行をしたのかは知っていた。

知事と接触のあった人、沖縄戦を生き残った人の体験談は独特の重さがある。また、映像では、まだ現地にいくつも残っている壕が映し出される。こんなところにたくさんの人が、長い間、身を隠さざるを得なかったのだ。そこで、日本軍は民間人に愚行をしたのだ。実際にその場にいるような気になった。ただ現人神のためであれば、敵も自国民も見境なくなるのだろうか。

周囲に「生きろ」と言いながら、自分は命を閉じざるを得なかったのは分かる。でも、生き抜いてほしかった、と思うのは浅はかだろか。エンディングに、久しぶりに聞いた小椋佳の声。その曲も訴えるものがあった。高得点にふさわしいドキュメンタリー映画である。

読書『不幸な国の幸福論』Ⅲ

わが国では自殺者が年間3万人になるという。自殺者が多いというのも、不幸な国である。

~日本の自殺率が高いのは、恥の文化が浸透し、貧窮を恥と考える、社会全体も失敗に対して不寛容、仏教や神道は自殺を罪悪として禁じていない。武士道は生き恥をさらすより自殺が崇高なものとされてきた。セーフティネットの貧困さ、また国民から安心や希望、人と人とのあたたかなつながりを奪う社会構造。~

ここに挙げられていないが、太平洋戦争での特攻なども自殺である。敵へダメージを与えるために自分から死ぬことが名誉とされるのだ。命を大切に思わない国民性なのだろうか。

ちなみに、「自殺者の多い国」を調べてみた。1位からグリーンランドリトアニア、韓国と続く。わが国は13位だった。私は日本がぶっちぎりの1位だと思ったがそうではなかった。ともあれ、セーフティネットの充実、人と人とのつながりを構築していくことが不可欠だ。でもこのコロナ禍の中で、なかなか難しい問題だ。

日本人の国民性が不幸にさせている、もう一つの主張。

~当時多くの人が時代の空気に流されていったように、敗戦から60年目の郵政選挙でも同様のことが起きた。かつても今も日本人の本質は変わっていない。その気になればさまざまな情報を自由に入手し多角的に検討できる時代なのに、時の権力がメディアを利用して垂れ流す単純明快なスローガンやテレビ的対立構造に飛びついてしまったのだから。~

時代の空気に流されるという国民性だ。次はその要因についてふれたい。

 

映画『フィールズ・グッド・マン (2020)』

フィールズ・グッド・マン (2020) FEELS GOOD MAN 監督 アーサー・ジョーンズ

娘夫婦宅によって煮物のお裾分けをしてから、隣市のミニシアターへ。「3」が付く日なので1000円で鑑賞できる。驚異的な高得点を叩き出している本作をチョイス。これはアニメなのかと思ったが、ドキュメンタリー映画なのだ。

ペペとかボーイズクラブなんて全然知らなかった。ネットとかSNSにどっぷり漬かっていないと分からないことなのだろう。

マンガ家の描いたキャラクターがネットの中で独り歩きし、人種差別の象徴とされてしまうなんて。そんな一キャラクターを祭り上げてしまうのは、引きこもり、ネットオタクなのだ。2ちゃんねるも4チャンネルもよく分からないけど、女子プロレスラーが自殺に追い込まれたように、ネットの世界では、匿名で自分を尊大化させ、我が物顔で好き勝手、やりたい放題ができるようだ。それが一国の指導者決定まで左右させてしまうなんて。

まともに付き合わない、深入りしないというのが一番正しいのではないかな。ネットの功罪について考えさせられる映画です。

映画『ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実 (2019) 』

ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実 (2019)THE LAST FULL MEASURE

『パーム~』に続き観賞。

泣いた。久しぶりに泣けた。高評価だったのだが、あまり期待していなかったので、大収穫の気分だ。

よく観る戦争モノだ。銃撃、爆破の音と映像。戦闘シーンは相変わらず怖いな。昔はもっと平気だったような気がするけど、年取ったのかなとも思う。だが、本作は反戦を訴える映画ではない。「助けてもらった」という恩と兵士の誇りがテーマだ。

戦争で命を落とすことも辛いけど、生き延びることもまた辛いのだ。生き延びた兵士たちの「働きかけ」は恩返しでもあり、それにより自分たちもいくばくか救われるということだ。

ラストの始まりの事件で、もう私は危なかった。だがラストシーンでは、もうまったく涙を止められなかった。かの国は、ある兵士の偉業をきちんと称えることを忘れないのだ。一人一人をきちんと尊重している。ただそれだけに感動したのだ。

絶対おすすめの映画です。

 

 

映画『パーム・スプリングス (2020) 』

パーム・スプリングス (2020) PALM SPRINGS 監督 マックス・バーバコウ

場所はどこであれ、映画のはしごをしようと決めていた。いろいろ迷ったが、隣市のミニシアターで観賞。本作はなんとなく気になっていたが、見逃してしまった作品である。パーム・ストリングスとは地名だそうだ。

ポスターだけ見ると、ただのラブストーリーなのだが、観てみると全然違った。寝ても覚めても毎日同じ日だという、なかなか面白い設定なのだ。そんな無限ループにはまり込んだときに、なんとかそこから脱出しようとするのか、それとも無限ループに安住しようとするのか、その選択に男女の違いがよく表れていた。脱出すると決めた方、その脱出の仕方が面白い。やはり学問は大切ですね。

他の映画でもよくあるけど、ヒロインが展開を通してどんどんきれいに、魅力的になっていく。それは女優の演技力なのか、監督の演技の引き出し方なのだろうか。昼過ぎからの鑑賞でちょっと眠気に襲われてしまい、男の「嘘」の意味が分からなかったのが心残りです。