読書9‐11『がんばると迷惑な人』Ⅱ

努力の量ではなく、努力の質を評価すべき

今日は家人と政令指定都市のショッピングモールへ赴く。久しぶりに公共交通機関を利用した。あちこち歩き回ると、結構足が疲れた。明日からの土日は娘家族とともに旅行だ。

~創造や革新などは人間の頭というブラックボックスの中で行われる高度な知的活動であり、そのプロセスは解明されていません。そのため外から圧力を加えて能力を発揮させようとしても無理なのです。~

~いくら「がんばれ」「全力を出せ」と気合を入れても効果がない時代に入ったことを理解していただけたのではないでしょうか。~

我が国の労働時間が他国に比べ突出している。だが、労働生産性は高くない。高くないからこそ、長時間労働でカバーしているのかも知れない。ただ、そんな我が国の働き方が、まさに「がんばれ」「全力を出せ」という大号令のもとで行われているような気がする。

~創造にしても革新にしても努力の「方向」を探すことです。すなわち努力の質が問われているのです。~

「努力する」ということの大切さは失われてはいない。しかし、夜遅くまで職場に残り、長時間労働をしている労働者に対し、「よくがんばっている」と評価する風潮はまだ残っていると思う。(R6.3/29記)