読書『ピンで生きなさい』Ⅲ

学び続ける者でなければ教える資格はない

帰宅するや否や、タバコ臭が染みついたマイカーのフロアマットの清掃。アルカリ電解水をかけてブラッシング、水で流し、衣料用洗剤をかけてブラッシング。乾かしている間に、室内もアルカリ電解水で拭き掃除。4枚の雑巾がたちまち茶色くなった。2時間もかけたが室内にはまだ臭いが残る。まだまだ闘いは続く。やるだけやってだめだったら業者に頼むつもりだ。

~どんな人であれ、秘められた個性があり、大切な役割がある。お互いに出会うことには何かの意味がある。思いがけない人の予想もしなかった支援に支えられ今の自分がある。~

タバコ臭にまみれたマイカーとの出会いも意味があるということだ。しかし、どんな意味があるのだろう、と問うてはならない気がする。与えられた意味ではなく、こちらから意味づけることが大切なような気がする。そして、自分は誰から支援されるのかは分からない。そうであるのなら、自分は誰でも支援しようという心構えでありたい。

~人間通はこう考える。世の中に雑用などない。修行にならない仕事などない。どんな仕事をしている人であれ、真剣に取り組む人は道を歩み、我が師となる。~

このような言葉がすんなりと腹に落ちる時は、心が健康な時なのだと思う。心が下向き、後ろ向きになると、このような思考はなかなかできない。

~毎日の職場が学び舎だ。上司からお客様まで誰もが先生なのだ。今も現在進行形で勉強を続けているのである。~

「学び続ける者でなければ教える資格はない」と聞いたことがある。自分もせっせと学んでいるつもりではあるが、気を緩めるとすぐにあちら側に行ってしまいそうになる。読書、視写、ブログは毎日欠かさぬようにしたいものだ。(R6.3/6記)