読書『子ども格差』Ⅵ

教育問題がまだまだ続く。子どもを理解することの大切さを訴えている。

~子どもと教師の信頼関係の構築こそが生徒指導の大前提であり、最重要テーマとみなされていたのです。「ゼロ・トレランス」というアメリカ産業界における品質管理の発想では、子どもに対する理解がまったく深まらない。ゼロ・トレランス方式を用いることで、教師力は確実に劣化していきます。「受容と寛容の生徒指導」の発想すら忘れ去られてしまいかねません。~

ゼロ・トレランスは非寛容という意味。情状酌量はなく規則などに違反したら厳しく罰則を与えるということ。なぜ、その方式を取り入れるのか。そもそも、問題は大人数の子どもを請け負わねばならないという状況にあるのだ。昔ほど保護者や子どもは学校や教師を信頼していない。そして、いろんな子どもたちがいる。担任一人で35人を管理せよというのが無理な話である。非寛容は反対だ、全員をていねいに理解しろ、という方がおかしい。

~近年の「教育改革」がもたらした成果主義は、すべてにおいて数値で結果を出さなければならず、教師の多忙化に拍車をかけています。そうなると、ゆったりと子どもの心に寄り添ったり、心の傷を読み解き、受け止めたりする物理的な時間も精神的な余裕もなくなります。その結果、子ども理解が疎かにならざるを得ない。~

我々はできる限り、子どもを理解しようとしている。「できる限り」だ。それは大前提である。すべてにおいて数値で結果を出せとまでは言われていないが、それでもやることが多すぎる。「ゆったりと寄り添う」など、理想郷だ。

~常に「評価」がつきまといます。「評価」の視点に立つと、子どもを白紙の状態でとらえることが難しくなります。傷ついてうちひしがれている子どもを丸ごと受容することなどとてもできません。評価することをすべて忘れ、あるがままの子どもの心に寄り添うことができなければ、子どもたちが抱える心の傷は見えてこないのです。~

単元ごとにテストを行っている。テストを採点し、子どもに返せば、もう十分な評価である。それでいいではないか。だがそれでは許されない。通知表作成のために、子どもの知識、技能だけでなく関心、意欲、態度まで評価せねばならないのだ。こまめに評価することで正当化させたいのだろう。果たして、その子どもの大切なものを見過ごすことになるのだ。(R4.4/22記)