映画『空白 (2021)』

空白 (2021) 監督 吉田恵輔

ワクチン接種後の体調が戻らず子どもを帰したらもうフラフラ。予定通り1時間年休をとり、家事を少しやりジョギングもして、市内の映画館へ向かう。高評価作品を連日観ることになったのだが、以前、観たかった作品を観逃して以来、「観れるときに一番観たい作品を観る」ことを教訓として学んだのだ。

コメントには傑作、アカデミー賞候補だと名高い作品である。この物語の舞台は、『ゾッキ』でも使われた割と地元である。結構な観光地なので何度も訪れたことがある。

登場人物はみな一癖ある。頑固偏屈な親父。ボランティア好き意識高い系年増。コミュ障的ボンボン店長。学校社会の中の蛙教員。そしていつも通り悪者になるマスコミ、ネット。女子中生の事故死をきっかけにして狂騒曲が奏でられる。指揮者の親父の姿から「とらわれ」という言葉が浮かんだ。とらわれてその苦しみから抜け出せずにいる。

何が「空白」なのか。私にはそれが、人物たちの心の隔たりだと感じた。親父は店長を追い回す。店長は親父に謝罪する。だが両者の心は決してぶつかろうとも交わろうともしない。意識高い系年増は店長を庇うが、店長は応えない。これも「空白」だ。

後半、涙は出なかったが心を奪われたシーンがある。あんな状況で、あんな心境で、あんな言葉が出るんだ。それは相手に何も反撃させない最高の、圧巻の皮肉なのだ。

肉親とかを、奪われないと、失くさないとわからない境地があるということか。そんな境地に至らなくても、自分とその周囲にじゅうぶん思いを巡らせ、しかも他人の声に冷静に耳を傾けながら、今というもの、今あるものを大切にして生きていかなければと思った。『ミナマタ』に並ぶ傑作、観るべし。(R3.9/29記)