読書『 日本人の誇り』Ⅲ

「日本人の誇り」とは、祖国への誇り、ということなのだろうか。

~理解しがたいのは祖国への誇りを育むと軍国主義につながりかねない。戦前の愛国教育と同じではないのか、などと心配したり近隣諸国条項を考慮したりすることです。~

何のために祖国への誇りを育むのか。祖国への誇りは必要なのか。敵国が攻めてきたら国のために戦ってもらうため以外にあるだろうか。軍国主義につながるのは致し方ないのではないか。

我々は敵国と戦うということがイメージできないのだ。先の大戦から70年以上も経っているのに毎年8月にはテレビで反戦キャンペーンの番組が放映される。新聞も定期的に「語り継ぐ戦争」として特集を組んでいる。小中学校の国語教材も戦争を取り扱ったものが採用されている。我々日本人は、他国と武力で争うという意識は皆無だと言っていいい。だから「祖国への誇り」が今一つなじまないのではないか。

主権国家というものは戦争で降伏し賠償金を払っても、謝罪という心情表明はしないものです。それは自国の立場を弱くし、自国への誇りを傷つけるからです。もはや弁護できない私たちの父祖を否定し、冒涜することになるからです。日本が謝罪と譲歩で答える世界唯一の国だからです。~

謝罪することが自国の立場を弱くする、そうなのかもしれない。だが、謝罪をしないのは、かつての美しい国の日本人の、礼節を重んじる姿と相容れない。

~日本中のほとんどの若者が自国の歴史を否定しています。結果、祖国への誇りを持てない。意欲や志の源泉をからしているのです。~

私が若かりし頃、教科書検定問題でアジア諸国から痛烈に批判された。「侵略」を「進出」に訂正する、中国での暴挙をなかったことにするなどの検定がやり玉にあがったのだ。自国の歴史を否定はしないが、真実を知りたいし、ときの政府が批判を受けるのはイケてないなあとは思う。