読書『 老いを照らす』Ⅲ

著者が出家した理由が書かれている。

~一つの不満がありました。大きな思想とか哲学が欠けている。私は当時ここから先に進むにはどうしても自分を支えてくれる大きな枠組み、背骨のようなものが必要だと思ったのです。その答えが出家だったのです。~

思想、哲学が欠けているという点に大いに共感する。2、3年前までの私は、仕事に対する思想や哲学という視点が全く欠けていた。技術だけを習得して立ち向かおうとしていた。カネも時間もつぎ込んだ。だが、そんなの、所詮小手先だったのだ。

今、思想や哲学があるというとそうでもない。だが、読書だけは続けている。

~仏や神が常に自分を見ているという畏れを感じるようになります。世界中の人がそのような畏れを感じるようになれば、犯罪や戦争はなくなるはずです。~

平和のために、信仰や宗教が必要だ、というわけでもない。これまでの歴史の中で、キリスト教イスラム教など一神教の信仰がきっかけで紛争や戦争が起きたこともあるのだ。仏や神に畏れを感じるためには、信仰が不可欠だと思う。それがどうしたら、「自分を見ている」「自分を戒める」という感覚へ繋がるのだろう。

~文明が発達しすぎるとかえって人間は不幸になるのです。これが不安の要因の一つです。不安の要因の第二は教育です。子どもは大人の背中を見て育ちます。大人が他人を蹴落としたり、お金儲けすることだけ考えていれば、子どもだって真似するに決まっています。~

私も娘が二人とも嫁いでいき、子育てを終えたところだ。子どもを前にした大人として考えると、大人一人一人が時代のめまぐるしい変化についていけてないのかなと思う。大人も生きるのに精いっぱいなんじゃないか。誰かが「大人なんだからしっかりしろ」って言ってくれたらな。いや、それに気づいてこそ大人なんだけど。

「第二は教育です」というが「教育」としてしまってはいけない。「教育」という言葉こそ都合のいい言葉はない。教育というと、学校で教師が子どもに指導することに意が注がれてしまう。「生き様を見せる」という言葉の方が正しい。