読書9-2『新しい幸福論』Ⅻ

働くことの意義は「生きていくため、生活費をかせぐため」だ

仕事納めが過ぎ、今日から年末年始休暇である。とは言え、明日からプライベートだが予定は入っており、自由気ままな一日は実質今日だけだ。朝から食料の買い出し、大掃除。やはり慌ただしく時間が過ぎていく。

~働くということは、生きていく(あるいは食べる)ためには絶対に必要なのである。働くということは全般的には苦痛を伴うとみなした方がよい。大半の人は望みうる仕事に就けないと考えた方がよく、これすなわち仕事は苦痛ということにつながるのである。~

数年前まで、仕事は自己実現の場だと思っていた。理想を持ち、一心に努力を重ねた。そして名をあげることを考えていた。それは苦痛に向かっていったということだ。苦痛を乗り越えて、何かを得ようとしていたのだ。

~世の中には理想の仕事などなく、すべてが大なり小なり苦痛に満ちており、従って働くということはつらいことだと理解した方が正しく、人は食べるために働くのだと達観した方が気が楽になるのである。「人は食うために働くのだ」と達観すれば「働くことに意義はない」という主張もあり得る。~

だがそうではない。苦痛に甘んじて、苦痛を味わって、給料を得ているのである。給料をもらっていながら、自己実現もさせてくれ、というのは虫が良すぎる。働くこと自体、そもそも苦しいことだと思えるようにずいぶん楽になった。いやいや、仏教の四苦、正老病死自体が苦しみだという考えに出会って、仕事の苦しみなど大したものではないと思えるようになった。

~働くこと、即生きること、という発想が日本人のお気に入りの発想なのである。私個人はこの発想にさほど共鳴はしない。少々煽っているにすぎないと解釈している。~

ワークライフバランスならぬワークイコールライフである。そう考えたい人を批判したり否定したりするつもりはない。自分は生きるために働くまでである。(R5.12/29記)