読書8-17『人生ごっこを楽しみなヨ』Ⅱ

今日職場で突然、ボランティアの方から話しかけられた。どうやら先週の何かの出来事で、私に謝罪をしているようなのだ。その方は自分の至らなさを私に伝えているのだが、「私は謝罪されるような人間ではない」「そもそもボランティアなのだからベストをつくせばそれでいい」と返した。

~過信じゃない自信っていうのは、その人の深さや魅力につながると思う。自分に自信がない人には、やっぱり深い魅力はないんだよ。そして過信じゃない自信を持つには、相手を評価したり差別したりしないことだよ。上下で見ないこと、若い人に対しても上から目線じゃなくて同じ目線で対等に見ることが大切だよな。~

確かに自信のなさそうな人は魅力的には映らない。相手を評価しよう、差別しようという態度は傲慢であり、不遜である。そんなやつも魅力的ではないのだが、ではなぜそうしないことが自信を持つことにつながるのだろう。

どんな人にも対等に見る、接するというのは難しい。へりくだったら卑屈に見えるし、その逆は傲慢。とりあえず、自分を魅力的に映そうという下心があってはだめだ。

~これは「ごっこ」なんだよ。俺は楽しく生きようという気持ちが強いんだよ。「面白がっちゃえよ!」っていつも言ってたな。要するに俺は人生ごっこをやってるんだよ。~

表題にかかわる文章だ。楽しくないのに「楽しめ」、面白くないのに「面白がれ」。それができたらどんなにいいことか。自分を客観視すること、ゆとりを持って生活することが大前提ではないだろうか。(R5.11/20記)