読書7-17『森田療法』Ⅷ

驚かされるのが、著者ががん闘病中であり、余命僅かであったということだ。がんになってしまった、それだけでもショックだろうに、それでも書を著したいというエネルギーはどこから来るのだろうか。

~私は自分が一人だけで生きてきたという傲慢な錯覚に陥っていたのですが、とんでもないことで、家族によって生かされ、私と付き合ってくれる友人によって生かされ、社会の人々によって生かされているということがわかったのです。だから生かされていることに感謝の心を持つようになり、それからは私の方からも積極的に私を生かしてくれている人々に関わっていかなければならないと思い始めたのです。~

「生きる」という感覚から「生かされる」へ。何がそのように変化させたのだろう。それはがん発症と関わりがあるのだろうか。不治の病に冒されることで人生観が変わったのだろうか。

教育のスローガンに「生きる力」とある。教育は、自立を促す働きかけだ。「主体性」を育むこともする。学校社会では「生きろ」と言われて大人になっていくのだ。そうして実社会を渡り歩けば自信もつく。それが傲慢にもなるだろう。だが、それが「生かされる」「感謝の心」となる。きっとそれは教えられるものではなく、自ら気づくしかないものなのだ。

~でも私はそれほど恐ろしいとは思いません。人間はいつか死ぬのですから、今私が置かれた状態もあるがままに受け止めるしかないのです。そして短い時間ではありますが、私は人間としての目的を求め、意味を求めて生きるしかないのです。~

自分は、死であっても、あるがままに受け止められるだろうか。考えたくない、というのが正直なところだ。(R5.3/30記)