読書8-16『文明としての教育』Ⅱ

今日はある行事のために3時間授業。3時半には職場を離れ、家で小休止、その後マイカーで近隣市へ向かう。労働相談に出かけたのだ。

~現代の教育はサービスによって個人の個性化と社会の多様化に応じなければ成り立ちません。教育制度の根幹は統治にあるにもかかわらず、社会からはサービスが過剰に求められ、国家もまた過剰に私生活に介入したがるのは今日の大きな病弊だともいえます。~

政府が我が国を統治するために国民に施すのが教育である。この国を治めるには、この国の言葉が分からなければならないし、この国の法律が分からなければならない。この国が栄えるために、経済活動を興してくれねばならない。そうして国を成り立たせ統治するための教育である。だが、教育はこの国の隅々まで行きわたり、その役割を終えることになった。役割を終えてもなお存在するのは、「サービス」という機能が新たに加わったからだ。

~あえて極論を言えば私は真に義務とされるべきは、読み、書き、算術と遵法教育だと考えていますので、現行の小中学校のそれ以外のすべての教科はサービスということになります。~

真に義務とされるというのは、要するに、最低限それさえあれば統治ができるということだ。統治のための教育だと思えば、我々のしていることはもっともっとシンプルになるはず。(R5.10/26記)