読書8-13『日本人に生まれて、まあよかった』Ⅸ

教育についての記述はまだまだ続く。

~子どもを退屈させてはいけない。能力にあったスピードで授業は進めてもらいたい、ということ。そして今日の問題として偽善的な平等主義の建前にこれ以上こだわることはやめてもらいたい。学校と塾という二本立ての歪んだ教育体系は廃止して、能力別の教育を国の方針として定めてもらいたい。~

特に優秀な子にとっては学校の授業は退屈だろうな。そんな子に限って塾にも通わさられ、学校の授業はストレス発散の場と化しているのだ。「能力にあった」という点からすると、1クラスの人数が多いのも我が国の欠点だと思う。個に目が行き届けば、能力にあった指導もしやすいのに。

~選択制を導入し、英語か野球かというふうに好きなものを選ばせるがいい。好きこそものの上手なれ、です。そのように選ばせておいてから能力別クラス編成を行う。自分で選んだことであれば、差別されたとか落第させられたという印象は残らない。~

体育、音楽、図工、家庭と技能教科があるわけだが、それなど選択制でいいと思う。いや、極論なくしてもいいと思う。どれも学校でなくても教えられる。だが、実現の道のりは遠い。なぜなら各教科の既得権益があるからだ。教科は違うが、国語の毛筆、習字の学習は必要だろうか。文化の継承という問題もあるだろうが、全員が学ばなくてはならないものとも言えない。だが、これまた既得権益が絡んでいそうだ。(R5.10/5記)